100年を経て復活する汚泥肥料の最前線
東京の下水道が「国産リン鉱山」に?

インタビュー・コラム
2026.09.27
浅沼美香
小野淳
浅沼美香 小野淳

農業に欠かせない肥料の三大要素「窒素・リン・カリウム」。その中でも、作物の開花や結実を支える「リン」の原料(りん安)について、日本はそのほとんどを海外からの輸入に依存しています。


出典:農林水産省ウェブサイトを加工して作成

近年のロシア・ウクライナ情勢や中国の輸出規制、急激な円安により肥料価格は高騰。日本の農業現場はかつてないコスト増と調達リスクに直面しています。
そうした中、国は「2030年までに下水汚泥資源と堆肥の利用量を倍増し、国内資源利用割合を40%に引き上げる」という目標を掲げ、下水汚泥の肥料利用へ大きく舵を切りました。

取材を進める中で見えてきたのは、全国の下水処理量の実に約1割が集中する巨大都市・東京の存在感です 。いま、その東京湾岸にある「砂町水再生センター」で、下水汚泥から高純度なリンを取り出す先進的な挑戦が始まっています。

下水再生リン

PHOTO:東京都下水道局

かつて江戸の循環社会を支え、昭和の高度経済成長期に姿を消した「下水肥料」は、なぜ今、最先端テクノロジーとともに蘇ろうとしているのか。東京都下水道局 計画調整部 エネルギー・温暖化対策推進 担当課長の山田英樹さんにお話を伺いました。

 

江戸の「下肥」昭和の「天日乾燥」
日本の農業を支えた下水肥料

下水汚泥の農業利用というと新しい取り組みに聞こえますが、歴史を振り返ると古くから行われていたんですよね。

そうなんです。江戸時代は「下肥(しもごえ)」として農家に売却され、都市と農村の間で農地還元が行われていました。しかし、大正から昭和にかけて都市へ人口が集中してくると、下肥の排出量が増える一方で、周辺の農地は宅地化されてどんどん減っていきました。その結果、かつて有価物として売却されていたものが、今度はお金を支払って処理してもらうものへと変わっていったのです。

近代に入り、下水道が整備され、日本初の近代下水処理場である「三河島汚水処分場(現:三河島水再生センター)」ができた当初は、発生した汚泥を運搬船に積み込んで海に散布する「海洋投棄」を行っていました。しかし、戦時中になると船舶の燃料配給が途絶えるなどして海洋投棄が停止。

その中で1944年から、三河島汚水処分場で汚泥を天日乾燥させて有機肥料として農村へ還元し始めました。戦後は三河島だけでなく芝浦や砂町の汚水処分場(現:水再生センター)でも生産されていました。

下水肥料はいつ途絶えてしまったのでしょうか?

1960年代の高度経済成長期に入ると、下水道の普及に伴って汚泥の発生量が爆発的に増えていきました。一方で処理場周辺の宅地化も進み、臭気やハエの発生が問題視されて汚泥乾燥を続けることが困難になってしまったのです。

さらに、化学肥料が急速に普及したことで乾燥汚泥の需要自体も低下しました。こうして下水肥料は使われなくなり、東京都では汚泥を脱水・焼却して埋立処分するという流れをたどることになりました。

東京都下水道局東部スラッジプラント

PHOTO:東京都下水道局

ウクライナショックと「都市型リン鉱山」の再評価

長らく「廃棄物」として処理・埋立されていた下水汚泥が、なぜここ数年で一気に脚光を浴びることになったのでしょうか?

最大の契機は、輸入品の価格高騰と供給不安です。ロシア・ウクライナ情勢や中国の輸出規制などを契機に、下水汚泥中に存在するリンが「国内資源」として再評価されました。国も食料安全保障や資源循環の観点から、下水汚泥の有効利用にあたっては、従来積極的に推進してきた燃料化よりも、「肥料利用を優先して検討すること」と大きく政策を転換したのです。

東京都は人口が非常に多く、全国の下水処理の約1割を占めています。下水に含まれるリンの量も年間約5,000トンと日本最大級です。この下水汚泥からリンを回収して肥料として効率的に利用していく取り組みを東京都が行うことは、肥料の国産化と安定供給に大きく貢献できると考えています。

 

砂町のブレイクスルー
臭気を出さず「分離液」からリンだけを結晶化

ウクライナ情勢による肥料危機が起きたのが2022年(令和4年)。国の政策転換からわずか2〜3年で、プラントが稼働して製品化の話まで進んでいるのは非常にスピーディーだと感じます。なぜこれほど素早く動けたのでしょうか?

元々、下水をきれいにして東京湾に放流する際に放流水中のリン濃度が高いと赤潮等の原因となるため、「いかに下水からリンを取り除くか」という技術開発自体は以前から進めていたことが大きいです。

ゼロから研究を始めたわけではなく、海を守るための水質保全技術というベースがあったところに、国の実証事業(B-DASHプロジェクト)への採択や民間企業との共同研究が組み合わさったことで、今回の肥料化プラントの早期稼働につながりました。

この技術の特徴は汚泥そのものから抽出するのではなく、汚泥を脱水する際に出る「脱水分離液」に含まれる高濃度のリンだけを化学的に抽出・結晶化する点です。

りん回収・肥料化施設

PHOTO:東京都下水道局

 

この技術には3つの大きな強みがあります。

  1. 悪臭が発生しない
    リンだけを選択的に回収するため、工程内で強い臭気が発生しません。完全密閉の施設内で処理するため、都市部の施設でありながら周辺環境への臭気影響がありません。
  2. 高純度で安全
    重金属や有害物質が溜まりやすい汚泥固形物からではなく、液体からリンのみを選択抽出するため、有害成分も基準値をしっかり下回る安全なものが取り出せます。
  3. 既存の化学肥料ラインに投入可能
    得られる再生リンはサラサラとしたドライな顆粒で、植物の根酸で溶けて吸収されやすい、く溶性りん酸を12%以上含むことを保証しています。肥料メーカーの既存プラントで、りん安(リン酸アンモニウム)などの代替原料としてそのまま配合肥料に活用できます。

実際に砂町水再生センターで回収された「下水再生リン」のサンプル

PHOTO:東京都下水道局

匂いを嗅いでみましたが、普段畑でまいている一般的な配合肥料と変わりません。
普段まいている配合肥料と同じレベルというか、むしろ無臭に近いです。軽量ですし、資材としても汎用性が高そうですね。

そうなんです。この回収したリン原料をJA全農さんにお渡しして、窒素やカリウムと混ぜ合わせた複合肥料の試作品を作っていただきました。東京都農業総合研究センター(立川)での栽培試験でも既存の肥料と同等の生育が確認され、都内の農家さんに試していただいた際も『遜色なく育つ』とご好評をいただいています。

ただ、現在はまだ技術開発・実証の段階ですので、砂町の実証施設としては年間70トンの再生りん生産能力がありますが、常時フル稼働させているわけではありません。作ったものをしっかりと受け入れて使っていただける出荷先の確保が、今後の実用化に向けたステップになります。

 

下水再生りんを用いた栽培試験

PHOTO:東京都農林総合研究センター

都産都消のストーリーで、都市と農をつなぎ直す

農家向けだけでなく、例えば「東京生まれの循環肥料」として、家庭菜園向けや都市農業のブランド野菜づくりと連動させる道もありそうです。家庭菜園を楽しむ都市住民にとって、「自分たちの街の資源が循環している」というストーリーや安心感は、むしろ選ばれる可能性は十分にありますよね。

その通りだと思います。東京都では今年度、農家向けの試験的流通開始を目指しているところですが、先行自治体の神戸市や福岡市等では、一般家庭向けに家庭菜園や鉢花など用の小袋展開も進められています。

 

 

取材を終えて

大都市・東京の生活は、世界中から食料や資材を集め、大量に消費しては排水やゴミとして流し続ける「一方通行」になりがちです。都市生活者の中には、どこか環境に対する罪悪感を抱えている人も少なくないでしょう。

しかし今回、砂町水再生センターで目にしたのは、都市が排出した下水から最新技術によって純粋な資源を救い出し、再び大地へ還すという「都市型サーキュラーエコノミー」の希望でした。

かつて江戸の町が世界屈指の循環都市であったように、21世紀の東京もまた、下水道インフラと先端化学の融合によって新たな循環の輪を回し始めています。コストや制度の課題はまだ残されていますが、食料安全保障が揺らぐ今だからこそ、この「都市型リン鉱山」の灯を消さず、官民・都市農業者も一体となって育てていく必要があります。

取材
小野淳(おの・あつし)アグリメディア研究所 客員研究員
株式会社農天気 代表取締役
NPO法人くにたち農園の会 前理事長
TVディレクターとして環境問題番組「素敵な宇宙船地球号」などを制作。30歳で農業に転職、農業法人にて有機JAS農業や流通、貸農園の運営などに携わったのち、㈱農天気/NPOくにたち農園の会設立。著書に「東京農業クリエイターズ」など。

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下水からリンを回収する今回の取り組み取材は、私たちが何を「廃棄物」と見なし、何を「資源」として扱うのかを問い直すものでした。不要になったものは、お金をかけて処分する。その仕組みに慣れるうちに、まだ使える価値を見落としてしまいがちです。これは食品ロスをはじめ、生産と消費のさまざまな場面に通じる問題だと思います。

また、必要なものが海外から届き続けるという前提が崩れたとき、国内に資源と、それを使える形にする技術があることは大きな支えになります。平時のうちからその技術を育て、備えを維持することも、社会に必要な投資です。

もちろん、技術があるだけでは資源は循環しません。肥料として使う人がいて、その肥料で育った農産物を選ぶ人がいる。そこまでつながって初めて、循環が成り立ちます。「下水由来」という言葉だけでは伝わらない製造の仕組みや安全性、取り組みの意義を、生活者に届く言葉で伝えていくことも欠かせません。

日々の買い物や事業の判断で、価格や効率は無視できません。それでも、何を買い、何にお金をかけ、その選択によって何を次へ残すのか。消費者としても、農業に関わる事業者としても、目の前の価格とともに、その先の資源や技術を支える視点を持ちたいと思いました。

企画編集・デザイン
浅沼美香(あさぬま・みか)アグリメディア研究所 研究員
デザイン事務所で20年間、プロデューサー・デザイナーとしてウェブサイト、広告などを製作。シェア畑の一利用者だったが、農業好きが高じてアグリメディアで働くようになった。「農×デザイン」に関心。